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附子

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2012-01-09

断末魔

19:53

 正月に日本中みんなが揃って休むという制度は、どうかしていると思う。どこもかしこも混雑しすぎる。お盆もそうだが、正月は四半期の末と重なるので特に酷い。ただでさえ期末は忙しいのに、社会のヒエラルキーの上のほうにいる人々が正月に休みたがるせいで、底辺にいる我々は、年があけるまでにいろんなことをやっつけておかなくてはならない。そのうえジジイどもは忘年会とか納会とかやりたがり、あげくのはてにお酒の席で若いもんに「早く結婚しろ」とか言うのである。こんな横暴がゆるされていいのか。個人的には、正月休みの代わりに、十月休みが欲しい。


 ところでプロジェクトクロネッカーの本題であるが、前回、僕はお題を出すだけ出して自分のことは書いていなかった。僕が買ったのは十冊ほどで、読んだのは感想を書いた七冊である。同人小説の感想をいっぱい書きたかったので、小説本でない一冊は後回しにしたまま、まだ手をつけていない。一冊は字が小さすぎてギブアップした。あと読んでいないのは『ゆる本』で、これには僕も参加しているので、感想を書いてもステマとか言われそうなんで未読になっちゃってる。

 感想を書いた七冊については、合同誌についても、全タイトル冒頭だけは読んだ。最後まで読んでいない作品はいっぱいある。あまり興味を惹かれない内容で、かつ読みづらいなど文章に問題があった場合は、読むのをやめてしまった。僕のこういう読み方は商業誌だろうが同人誌だろうが変わらない。文章に多少問題があっても内容に関心があれば読み進めるし、いまひとつ関心を持てない内容でも、文章のよさに引っ張られて読み進めてしまう場合もある。

 文章のよさで読み進めた作品としては、オカダファクシミリさんの『グッドモーニング』がある。本作は、私小説じみた平凡な生活の描写からはじまる。平凡な生活を淡々と描いたような小説は世の中にいくらもあるが、僕はあまりそういうのは好きじゃない。ありがちな生活の風景が延々と続く小説を僕は楽しいと思わない。しかしオカダファクシミリさん独特の、愚痴まじりで息もつかずにしゃべくるような文章は、なぜかもう少し読んでみようかなという気にさせる。結果的に、この『グッドモーニング』はそこの平凡な小説なんかじゃなかったので、オカダファクシミリさんにうまくのせられて良かったなと思う。

 日野裕太郎さんの中・短編集『スコシの領分』は、第十三回文フリマに出展された小説本のなかで、ウェブでの評価が最も高い作品のひとつである。僕も高く評価している一人であるが、最初に収録されている『スコシの領分』は、冒頭部分が少々わかりにくいという欠点がある。しかしながら、わかりにくいとはいえ、主人公が生贄か何かの役目を負い村を出て行くのだ、ということは十分に読み取れるし、さらに、ここではないどこか異世界の話だということも含めて、最初の一ページで説明を(それも、決して説明っぽくなく)終えている。本作は、内容で読者を引っ張り込んだ作品の成功例といえるだろう。

 前回出したお題のなかで僕は、「何を選び、何を選ばなかったかについての考察」をお願いした。入手した全ての作品を、全て最後まで読まれるのであれば、考察のしようがないだろう。先に述べたとおり、僕はそうではないので、考察しなくてはならない。何を選んだかといえば、それは、読書を楽しめた作品ということになる。だが、多分それだけではない。最後まで読ませる作品というのは、作品自体が読者に「選ばせる」力を持っているのではないか。


 去年の暮れにM氏とお酒を飲みながら、こんな話をした。プロジェクトクロネッカーのお題形式では次々お題が増えるので、なにかひとつの話題を掘り下げ始めると、話がどんどん長くなってしまうのではないか。――どうやら心配が本当になってきた。


 秋山さんのお題、「小説を書いているとき、どれくらいその状況を想像するか」について。僕の場合は、読者に見せる部分については想像する。特に、論理的におかしいところがないか、想像力を働かせて重点的にチェックしている。僕の『迷宮図書』という作品では、脱稿の直前でとんでもないミスがあることに気が付いた。修正前の文章はこちら。

『私は耳にした。断末魔の短い絶叫を。(中略)「探索者」が目にしたのは、もう一人の「探索者」の、むごい末路だった。部屋に辿り着けたのは首から上だけで、それが反対側の壁のそばまで到達しているにもかかわらず、体のほうは、未だ部屋の手前の通路に、うつ伏せに倒れていた。』

 何がおかしいのか、おわかりだろうか。修正後はこちらである。

『私は耳にした。断末魔の短い絶叫を。「探索者」が目にしたのは、もう一人の「探索者」の、むごい末路だった。部屋に辿り着けたのはみぞおちから上だけで、それが向かいの壁のそばまで到達しているにもかかわらず、臍よりも下は、部屋の手前の通路で横倒しになっていた。』

 そう、みなさんがお気付きの通りである。首から上だけになっては、絶叫などできないのだ。

 僕は小説を書くとき、作中の舞台裏までは想像しないが、読者になにが見えているかについては、可能な限り注意を払っている。伊藤さんがカメラワークという言い方をされたが、心情を含む見え方については、泉信行さんの『漫画をめくる冒険』がとても参考になった。


 伊藤さんのお題、「タイトルで悩みますか?」。僕は相当悩む。が、僕はタイトルのつけ方があまりうまくない。最初に仮題をつけて後で変更するのは伊藤さんと同じである。その小説を楽しめそうな人をキャッチでき、読み始めたら「なるほど、それでこのタイトルか」と思え、なおかつ最後まで読んだ後に、もう一度タイトルの深さに感心できる、というのが理想的なタイトルだと思う。それはわかっているのだが、さっき書いたとおり、僕はタイトルを考えるのが苦手である。


 最後に、僕からのお題であるが、またしても読者視点で。伊藤さん、秋山さんともに、第十三回文フリマで買われた本をまだ全部は読まれていないということだが、どういう順番で読んでいるのかを教えていただきたい。厚さの順? 期待の作家から? 内容的に軽そうなやつから? それとも無作為? 合同誌の場合の読む順についても同様にご回答いただけると嬉しい。僕の場合は、初めて読む作家(またはサークル)と、僕の中で安定している作家を交互に、厚さは薄いのから先に読む傾向が多少はあるが、わりと均等。最初に読んだのはBLANK MAGAZINEさんの『エポック・メイキング』で、理由はパラパラめくって体裁がかっこよかったから。合同誌と、字が小さい本は後回しになりやすい。合同誌を読む場合は掲載順である。

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